藤原定家自筆書状<br />「山門状」

重要文化財

藤原定家自筆書状
「山門状」
ふじわらのさだいえじひつしょじょう「さんもんじょう」

藤原定家自筆の書状で、書き出しの語句「山門衆徒・・・・・・」を冠して、古くから「山門状」と呼ばれています。延暦寺(山門)末寺大山寺の神人(じにん)が石清水八幡宮に属する筥崎宮留守職(はこざきぐうるすしき)に打ち殺された事が発端で、延暦寺側が石清水別当宗清(むねきよ)の処罪と石清水領を延暦寺領とする要求を朝廷に提出、これが受け入れられないため神輿動座(しんよどうざ)に及びました。この事件に対し、石清水側には罪科を加せず、山門側には神輿を帰座(きざ)するようにとの院宣が下ったとの宮中での評定の結果を、定家が義弟の藤原公経(きんつね)に報じています。
墨のかすれ具合も自然で抑揚があり、線の肥痩の際立った定家の書風が認められます。

【徳川義直(尾張家初代)所用 鎌倉時代 建保6年(1218)】