巴紋蒔絵挟箱

巴紋蒔絵挟箱 ともえもんまきえはさみばこ

尾張家2代光友側室・勘解由小路(かでのこうじ)の遺愛品として性高院(しょうこういん/現・名古屋市千種区)に伝えられた挟箱です。実家である樋口家の家紋が釣り巴紋であるためか、すべてに巴紋が付けられています。挟箱は近世の武家の旅行道具で、衣服や身の回りの品を納め、棒を通して従者に担がせました。
勘解由小路は、公家で参議の樋口信孝(ひぐちのぶたか)の娘として京都に生まれ、7歳で初代義直の側室おさいに仕え、その後、2代光友の側室になったとみられます。慶安4年(1651)に産んだ義昌(よしまさ)が後に分家の大久保松平家(梁川松平家)を創立すると、勘解由小路は生母として重きを置かれました。光友の最期を看取り、宝永2年(1705)に79歳で歿し、尾張家の菩提寺である性高院に葬られました。

【江戸時代 17世紀 性高院蔵】