太刀 銘 包永 たち めい かねなが
大和国(手掻派)
手掻派(てがいは)は東大寺の西門・輾磑門(てんがいもん)(転害門 現・奈良市雑司町)の門前に住し、東大寺の僧兵の注文に応じて刀剣を収めたお抱え鍛冶でした。包永(かねなが)は手掻派の祖で、通称手掻包永と呼ばれています。小沸えのついた直刃調の刃文に、鎬幅(しのぎはば)が広く厚みのある刀身といった、大和国の刀剣に多く見られる特徴を持っています。
〈徳川家斉(11代将軍)・徳川斉朝(尾張家10代)所持〉
【鎌倉時代 14世紀】
大和国(手掻派)
手掻派(てがいは)は東大寺の西門・輾磑門(てんがいもん)(転害門 現・奈良市雑司町)の門前に住し、東大寺の僧兵の注文に応じて刀剣を収めたお抱え鍛冶でした。包永(かねなが)は手掻派の祖で、通称手掻包永と呼ばれています。小沸えのついた直刃調の刃文に、鎬幅(しのぎはば)が広く厚みのある刀身といった、大和国の刀剣に多く見られる特徴を持っています。
〈徳川家斉(11代将軍)・徳川斉朝(尾張家10代)所持〉
【鎌倉時代 14世紀】