重要文化財
太刀(菊紋) 菊一文字 たち(きくもん) きくいちもんじ
佩表(はきおもて)鎺下(はばきした)に菊紋を刻んだ太刀は、後鳥羽上皇の御作と伝えられます。上皇は刀剣を愛し、山城のほか備前・備中など諸国より名工を召し寄せて御番鍛冶(ごばんかじ)とし、自らも鍛冶を相手に、御所内で刀剣を鍛えたと伝えられています。本品は一見して備前国一文字派の作風を示すため、菊御作(きくごさく)あるいは菊一文字(きくいちもんじ)とも呼ばれています。寛永2年(1625)に2代将軍秀忠(ひでただ)三男の忠長(ただなが)から尾張家初代義直(よしなお)が譲り受けました。その後、尾張家5代五郎太(ごろうた・1711~13)の時代に父・吉通(よしみち) の建中寺(けんちゅうじ)廟に奉納され、明治時代に尾張家へ戻されました。
【徳川忠長(徳川秀忠3男)・徳川義直(尾張家初代)所持 鎌倉時代】