束帯天神像

束帯天神像 そくたいてんじんぞう

菅原道真(すがわらのみちざね・845~903)は、宇多(うだ)天皇の庇護の下に出世を重ねた結果、昌泰2年(899)に右大臣に昇り詰めます。しかし、左大臣・藤原時平との政争や、道真の出世を妬んだ貴族の反発から、同2年に道真は讒言(ざんげん)により失脚し、大宰府へ左遷され、そのまま延喜3年に歿しました。道真の死後、京には異変が相次ぎ、延長8年(930)に清凉殿が落雷に遭うと、朝廷はじめ人々はこれらを道真の祟りであると恐れました。これ以降、道真は雷神と結びつけられ、天神として信仰されるようになました。

【益叟福謙賛 室町時代 徳川美術館蔵】