天璋院肖像写真 てんしょういんしょうぞうしゃしん
天璋院篤姫(1835~83)は、島津家の一門・今和泉家の島津忠剛の長女として鹿児島に生まれました。将軍家から縁組の打診を受け、嘉永6年(1853)に斉彬の養子となり、さらに近衛家の養女を経て、安政3年(1856)に13代将軍家定に御台所として嫁ぎました。病弱だった家定との結婚生活はわずか1年半でしたが、家定歿後は「天璋院」に名を改め、その気丈な性格から大奥のみならず江戸城の支柱としての役割を果たしました。
【明治時代 德川記念財団蔵】
天璋院篤姫(1835~83)は、島津家の一門・今和泉家の島津忠剛の長女として鹿児島に生まれました。将軍家から縁組の打診を受け、嘉永6年(1853)に斉彬の養子となり、さらに近衛家の養女を経て、安政3年(1856)に13代将軍家定に御台所として嫁ぎました。病弱だった家定との結婚生活はわずか1年半でしたが、家定歿後は「天璋院」に名を改め、その気丈な性格から大奥のみならず江戸城の支柱としての役割を果たしました。
【明治時代 德川記念財団蔵】