紅絹縮地流水に葵文幡

紅絹縮地流水に葵文幡 べにきぬちぢみじりゅうすいにあおいもんばん

身にまとう着物は、故人を偲ぶ形見となります。もとは福君が生前に身につけていた小袖で、仏具である幡に仕立て替え、女中によって尾張家の菩提寺の一つ定光寺に奉納されました。裏面には、わずか数え21歳で世を去った福君の死を哀しみ、その志願成就と追福を願って、翌天保12年(1841)に奉納した旨が女中12名の名前とともに記されています。

【江戸時代 天保12年(1841) 愛知県・定光寺蔵】