徳川家康三方ヶ原戦役画像 とくがわいえやすみかたがはらせんえきがぞう
元亀3年(1572)に西上を始めた武田信玄に三方ヶ原で敗れた徳川家康が、生涯唯一の敗戦を肝に銘ずるため、命からがら浜松城に逃げ帰った時の姿を描かせたと伝えられる。だが、この伝承には史料的な根拠はない。ただし、尾張徳川家の蔵帳には「東照宮尊影(とうしょうぐうそんえい)」とあり、江戸時代から家康像として認識されていたことは確かである。近年では、目を見開いて歯を見せる忿怒(ふんぬ)の表情、片足を上げて頬に手をあてる半跏思惟(はんかしゆい)の姿から、家康を武神として祀る礼拝像であったと考えられている。本品は尾張徳川家9代宗睦(むねちか)の嫡子・治行(はるゆき)の正室・従姫(よりひめ/1757~1804)が、紀伊徳川家から嫁いだ安永9年(1780)に尾張徳川家へ持参した品である。
【江戸時代 17世紀】
絹本著色
本紙 縦37.8 横21.8