筝 銘 小町<br /><small>名物</small>

筝 銘 小町
名物
そう めい こまち

箏は木製(桐材)の胴に13本の絹糸製の絃(げん)を張った楽器で、古くは琴(きん)の琴(こと)、箏(そう)の琴などと、絃楽器をすべて琴(こと)と呼んでいたが、江戸時代以降は、箏を琴と通称するようになった。奈良時代に日本にもたらされ、合奏楽器の一つとして雅楽に用いられたが、中世以降九州で流行した筑紫琴(つくしごと)を経て、江戸時代の八橋検校(やつはしけんぎょう)(1614~85)によって箏曲が作曲され、江戸時代の筝が盛んとなった。
本品は、楽器の各所に金・銀・鼈甲(べっこう)・象牙・青貝(あおがい)などを材料とし、寄木(よせぎ)彫刻や象嵌(ぞうがん)などの技法で扇面(せんめん)と観世水文(かんぜみずもん)が美しく施された筝である。通常の筝よりは長さ、幅ともに短く、やや小ぶりに作られている。大正4年(1915)に修理した際、甲裏に文字が発見され、有馬肥前守貴純(たかずみ/生年未詳~1494)が嫡女の稽古用に作らせた筝と判明した。伝来は詳らかではないが、浅野幸長(よしなが)の娘で、数え年14歳で尾張家初代義直(よしなお)に嫁した春姫(はるひめ/1602~37)愛用と伝えられている。  

【室町時代 15世紀】

一面
長170.6 幅20.6

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